広がる病気への偏見安倍首相の辞任会見後、「潰瘍性大腸炎の悲惨さを語って欲しい」という趣旨の取材依頼がたくさん来ました。でも、すべて断りました。僕自身の反省もこめて言いますが、当事者は病気の大変な部分を語りがちです。伝える側も「なんともない」では記事にはならないので、結果として、病気の大変さばかりが世間に強調されます。 人は知らないことについては、印象的な一例を知ると「こういうものだ」と一般化しがちです。でも、ものごとにはグラデーションがあります。過度な一般化は、病気に対する偏見につながるのです。 潰瘍性大腸炎は、人によって症状に大きな違いがある病気です。重い人の例だけが一般化されると「そんな病気じゃ就職させられない」「結婚相手として許さない」といった差別が広がります。軽症で普通に日常生活が送れる人までもが、働けないと思われてしまうのです。実際、僕も安倍首相の1回目の辞任の後、安倍首相の例をあげられ「途中で仕事ができなくなるかもしれないような人に、大事な仕事は任せられない」と、もらえるはずだった大きな仕事を失いました。僕だけでなく、非常に多くの同病者が当時、仕事や結婚に差し障りが出たと思っています。 今回の辞任でも偏見につながるような記述を見かけますが、前回に比べると、病気を揶揄(やゆ)するような言論は減った気がします。それは、多くの人が、新型コロナウイルスへの感染におびえている現状が影響しているのかもしれません。 大多数の人はこれまで、自分は病気とは無縁な人間だと思っていたわけです。僕だって病気になる前は、「病人とは、自分と関係のない人たちだ」という偏見を持っていました。それが今や、誰もが「病人予備軍」という状況になり、病気は人ごとではなくなりました。 僕は入退院生活を繰り返した13年間の後に手術を受け、そのお陰で服用するステロイド剤の量が減りました。それでも薬の副作用のため免疫力が低く、コロナが流行する前からマスクにサングラスという姿で外出し、外食も控えてきました。帰宅後の手洗いはもちろん、外で買った物はすべてアルコール消毒しています。感染症が命取りになるかもしれないからです。その姿は、世間から見れば「異常」だったかもしれません。 「正常」と「異常」の逆転それがいきなり、コロナによって「普通」の基準がぐーんと自分の方に近寄って来ました。「正常」と「異常」が入れ替わったわけです。 では、コロナをきっかけに、僕のような病人も生きやすい世の中になるのか。実は、かえって病気に対する差別が激しくなるのではと心配しています。 コロナに感染しても、治ってすっかり平気な人もいれば、ずっと後遺症に悩む人もいます。それは、「病を乗り越えられた人」と、「乗り越えられなかった人」を生み出します。乗り越えられた人は、自分は「病を克服した選ばれた人間だ」と思いがちです。すると、「だるい」「つらい」と言い続ける人のことを、心が弱い「敗者」だと批判的な目で見ます。より弱い、不運な側に落ちていくことへの恐怖が、背後にはあるのだと思います。後遺症に苦しむ人がさまざまな保障を求めると、「弱者が権利を主張している」とうっとうしく思う人も出てくるでしょう。それが、慢性的な病気を抱える人全体への差別につながり、偏見がより激しくなるのではないかと心配しているのです。 実は潰瘍性大腸炎という同じ病気の人同士も、必ずしも連帯しているわけではありません。患者会でも、軽症の人は「難病指定を取り消せ」とすごく怒りますからね。潰瘍性大腸炎も新型コロナも、人により症状に大きな差があるという点が共通していますが、「差がある病気」というのは難しいのです。 「あいまいさ」への耐性どうすれば今の社会がもっと生きやすくなるのか。それには、わからないことを、わからないまま対応する「あいまいな状態に耐えられる力」が必要だと思っています。 たとえば、僕は病気のために食べられないものがありますが、食べないことを許してくれる人は本当に少ないのです。出された食べ物に口をつけないと、最初は「一口どうぞ」と言っていた相手も、だんだんムキになって勧めるようになります。一度で勧めるのをやめてくれる人に会うと、感動さえします。「食べない」ということがきっかけで、人間関係が壊れることさえあります。なぜなら、一緒にものを食べないことは、相手が自分を拒絶していることだと感じるんですね。食べ物が踏み絵になっているわけで、これは「共食圧力」と言ってもいいのではないかと思います。 それが、東日本大震災が起きたのをきっかけに東京から宮古島に引っ越したときに、驚くべき体験をしました。 知人が僕のためにごちそうを用意してくれたのですが、そのときもなかなか口をつけられませんでした。それなのに彼女は、なぜ食べられないのかを一切聞かず、料理を勧めることもなく、普通に食べて話しているのです。 宮古島では彼女だけでなく、僕の事情をくわしく聞かなくても、当たり前に接してくれる人が多くいます。どうしてこうなのか。いろいろと考えたのですが、それは「人に迷惑をかけることは当たり前だ」と考える価値観のせいだと思い至りました。 たとえば、子どもが熱を出して看病のために仕事を休んだとき、東京の感覚だったら「休んで申し訳ない」と思いますよね。宮古島の人は休んだ後に仕事に戻っても、周囲に謝ったりお礼を言ったりしない人も多い。これは最初は、なかなかのカルチャーショックでした。 「多様性疲れ」にならないためにはでも、人に迷惑をかけるのはお互い様、迷惑をかけてもいいんだという方が、不思議と世の中がよく回るんです。それは3カ月に1度、通院のために東京の病院に行き、宮古島に帰る飛行機に乗るときにも感じます。僕は闘病で筋肉が落ちてしまったので、棚に荷物を乗っけるのにすごい時間がかかって迷惑がられます。 でも那覇に到着し、宮古島便に乗り換えると、途中でおばあさんが荷物を入れるのに時間がかかって流れを止めても、誰も迷惑がりません。結局同じことが起きているのに、すごい和やかなんです。東京のようにひたすら迷惑をかけないようにするというルールでも世の中は回ると思いますが、僕にとっては息苦しく感じます。 人それぞれ事情はあり、いくら想像しても、経験しないとわからないことがあります。だから、何でも「こうでしょ」と決めつけずに、「この人にはもしかしたら何か事情があるのかもしれない」と「ためらい」を持ってほしい。そして、わからないものを、わからないままに対応するという「あいまいさへの耐性」を持って欲しい。 いま、多様性を認めることの大切さが言われていますが、正直、みな疲れていると思うんです。自分と違う人を差別しないためにも、相手を理解しろと言われても、すべてを理解することは難しい。相手のことをわからないなりに受け止め、対応するという力が必要なのです。そうすれば、誰にとっても生きやすい世の中になるのではと思います。(アピタル編集長・岡崎明子) #
by eye-moriemon
| 2020-09-11 15:35
| その他
広がる病気への偏見安倍首相の辞任会見後、「潰瘍性大腸炎の悲惨さを語って欲しい」という趣旨の取材依頼がたくさん来ました。でも、すべて断りました。僕自身の反省もこめて言いますが、当事者は病気の大変な部分を語りがちです。伝える側も「なんともない」では記事にはならないので、結果として、病気の大変さばかりが世間に強調されます。 人は知らないことについては、印象的な一例を知ると「こういうものだ」と一般化しがちです。でも、ものごとにはグラデーションがあります。過度な一般化は、病気に対する偏見につながるのです。 潰瘍性大腸炎は、人によって症状に大きな違いがある病気です。重い人の例だけが一般化されると「そんな病気じゃ就職させられない」「結婚相手として許さない」といった差別が広がります。軽症で普通に日常生活が送れる人までもが、働けないと思われてしまうのです。実際、僕も安倍首相の1回目の辞任の後、安倍首相の例をあげられ「途中で仕事ができなくなるかもしれないような人に、大事な仕事は任せられない」と、もらえるはずだった大きな仕事を失いました。僕だけでなく、非常に多くの同病者が当時、仕事や結婚に差し障りが出たと思っています。 今回の辞任でも偏見につながるような記述を見かけますが、前回に比べると、病気を揶揄(やゆ)するような言論は減った気がします。それは、多くの人が、新型コロナウイルスへの感染におびえている現状が影響しているのかもしれません。 大多数の人はこれまで、自分は病気とは無縁な人間だと思っていたわけです。僕だって病気になる前は、「病人とは、自分と関係のない人たちだ」という偏見を持っていました。それが今や、誰もが「病人予備軍」という状況になり、病気は人ごとではなくなりました。 僕は入退院生活を繰り返した13年間の後に手術を受け、そのお陰で服用するステロイド剤の量が減りました。それでも薬の副作用のため免疫力が低く、コロナが流行する前からマスクにサングラスという姿で外出し、外食も控えてきました。帰宅後の手洗いはもちろん、外で買った物はすべてアルコール消毒しています。感染症が命取りになるかもしれないからです。その姿は、世間から見れば「異常」だったかもしれません。 「正常」と「異常」の逆転それがいきなり、コロナによって「普通」の基準がぐーんと自分の方に近寄って来ました。「正常」と「異常」が入れ替わったわけです。 では、コロナをきっかけに、僕のような病人も生きやすい世の中になるのか。実は、かえって病気に対する差別が激しくなるのではと心配しています。 コロナに感染しても、治ってすっかり平気な人もいれば、ずっと後遺症に悩む人もいます。それは、「病を乗り越えられた人」と、「乗り越えられなかった人」を生み出します。乗り越えられた人は、自分は「病を克服した選ばれた人間だ」と思いがちです。すると、「だるい」「つらい」と言い続ける人のことを、心が弱い「敗者」だと批判的な目で見ます。より弱い、不運な側に落ちていくことへの恐怖が、背後にはあるのだと思います。後遺症に苦しむ人がさまざまな保障を求めると、「弱者が権利を主張している」とうっとうしく思う人も出てくるでしょう。それが、慢性的な病気を抱える人全体への差別につながり、偏見がより激しくなるのではないかと心配しているのです。 実は潰瘍性大腸炎という同じ病気の人同士も、必ずしも連帯しているわけではありません。患者会でも、軽症の人は「難病指定を取り消せ」とすごく怒りますからね。潰瘍性大腸炎も新型コロナも、人により症状に大きな差があるという点が共通していますが、「差がある病気」というのは難しいのです。 「あいまいさ」への耐性どうすれば今の社会がもっと生きやすくなるのか。それには、わからないことを、わからないまま対応する「あいまいな状態に耐えられる力」が必要だと思っています。 たとえば、僕は病気のために食べられないものがありますが、食べないことを許してくれる人は本当に少ないのです。出された食べ物に口をつけないと、最初は「一口どうぞ」と言っていた相手も、だんだんムキになって勧めるようになります。一度で勧めるのをやめてくれる人に会うと、感動さえします。「食べない」ということがきっかけで、人間関係が壊れることさえあります。なぜなら、一緒にものを食べないことは、相手が自分を拒絶していることだと感じるんですね。食べ物が踏み絵になっているわけで、これは「共食圧力」と言ってもいいのではないかと思います。 それが、東日本大震災が起きたのをきっかけに東京から宮古島に引っ越したときに、驚くべき体験をしました。 知人が僕のためにごちそうを用意してくれたのですが、そのときもなかなか口をつけられませんでした。それなのに彼女は、なぜ食べられないのかを一切聞かず、料理を勧めることもなく、普通に食べて話しているのです。 宮古島では彼女だけでなく、僕の事情をくわしく聞かなくても、当たり前に接してくれる人が多くいます。どうしてこうなのか。いろいろと考えたのですが、それは「人に迷惑をかけることは当たり前だ」と考える価値観のせいだと思い至りました。 たとえば、子どもが熱を出して看病のために仕事を休んだとき、東京の感覚だったら「休んで申し訳ない」と思いますよね。宮古島の人は休んだ後に仕事に戻っても、周囲に謝ったりお礼を言ったりしない人も多い。これは最初は、なかなかのカルチャーショックでした。 「多様性疲れ」にならないためにはでも、人に迷惑をかけるのはお互い様、迷惑をかけてもいいんだという方が、不思議と世の中がよく回るんです。それは3カ月に1度、通院のために東京の病院に行き、宮古島に帰る飛行機に乗るときにも感じます。僕は闘病で筋肉が落ちてしまったので、棚に荷物を乗っけるのにすごい時間がかかって迷惑がられます。 でも那覇に到着し、宮古島便に乗り換えると、途中でおばあさんが荷物を入れるのに時間がかかって流れを止めても、誰も迷惑がりません。結局同じことが起きているのに、すごい和やかなんです。東京のようにひたすら迷惑をかけないようにするというルールでも世の中は回ると思いますが、僕にとっては息苦しく感じます。 人それぞれ事情はあり、いくら想像しても、経験しないとわからないことがあります。だから、何でも「こうでしょ」と決めつけずに、「この人にはもしかしたら何か事情があるのかもしれない」と「ためらい」を持ってほしい。そして、わからないものを、わからないままに対応するという「あいまいさへの耐性」を持って欲しい。 いま、多様性を認めることの大切さが言われていますが、正直、みな疲れていると思うんです。自分と違う人を差別しないためにも、相手を理解しろと言われても、すべてを理解することは難しい。相手のことをわからないなりに受け止め、対応するという力が必要なのです。そうすれば、誰にとっても生きやすい世の中になるのではと思います。(アピタル編集長・岡崎明子) #
by eye-moriemon
| 2020-09-11 15:35
| その他
黒人の男性が白人の警官に窒息死させられた米国での事件をきっかけに、世界中で改めて人種差別問題への関心が高まっている。この難問、日本でどう考えればいいのだろう。肌の色が同じ人々を支配した戦前日本の歴史を調べ、「有色の帝国」という視点を使って人種や民族の問題を考察してきた小熊英二さんに聞いた。 ――米国で今、人種差別の問題が先鋭化しています。 「新型コロナウイルスの危機をきっかけに格差の問題が強く意識された結果だと見ています。経済的格差だけではありません。社会的発言ができる機会の格差、医療や教育にアクセスできる機会の格差……。そうした様々な格差が『人種(race)』という区分と重なる形で生じているという意識が、米国社会には強いのです」 ――もし日本の学生から「日本は人種差別のない国ですよね?」と聞かれたら、どう答えますか。 「人種って何だと思う?と聞き返すと思います」 ――「肌の色で白人と黒人を分けるような、身体的特徴による区分です」と回答されたら? 「なぜ耳の長さでなく肌の色が重要だと思う?と尋ねます。身体的特徴と言われるものはほかにもたくさんあります」 「また、西洋でも身体的特徴が重要な区分になったのは近代以後とされています。それ以前は『貴族か平民か』といった区分の方がずっと重要でした」 ――そもそも人種差別という問題は、近代の日本ではどのように考えられてきたのでしょう。 「当時の人々は『人種差別は西洋にはあるが日本にはないものだ』と考える一方で、別の形で差別があることは知っていました」 「人種という概念自体は明治の初めに日本に入ってきました。しかし、米国のようには使われませんでした。まず、人種という指標を使うと自らは有色の黄色人種とみなされ、西洋人より劣位に置かれてしまう問題がありました。また台湾人や朝鮮人といった人々と日本人がどう違うかを説明するにも、人種は使いにくい概念でした。同じ黄色人種だからです。そこで発明されたのが、日本語の『民族』という概念でした」 ――新たに発明された概念だったのですか。 「そうです。民族という言葉は、実は英語にうまく翻訳できない言葉です。漢字熟語の民族は1880~90年代、つまり明治期の中盤に日本で発明された人間の区分の仕方だったと私は見ています。人種とは別に、独自の区切り方を作ったのです」 ――民族とは、どういう中身を持つ概念だったのですか。 「当時は次のような特徴を持つものと考えられていました。(1)独立して一国をなすべき集団である(2)内部に分裂がない(3)千年単位の歴史を共有している、です」 「英語のネーション、ドイツ語のフォルクなどと重なる部分はあります。ただ、国家を社会契約によって人工的に作るという西洋的な考えに敵対する形で作られた点などを見ると、単なる輸入概念とは言えません」 ■ ■ ――なぜ発明したのでしょう。 「国家一丸の体制を作り、外部の強敵に対抗していくためです。民族とは、当時の日本の知識人たちの危機感を映した概念でした。彼らは、日本が西洋の列強に植民地化され、国の独立を奪われることを恐れていました。外国勢力の介入を招く要因として恐れていたのが、国の内部に分裂や対立が生じることでした」 「内部に分裂のない社会は本来ありえませんが、彼らは民族を『千年単位の歴史を共有している』集団とみなしました。天皇という存在を担保に、天皇のもとでずっと分裂なく団結し続けてきた集団というイメージを作り上げたのです。その意味で民族とは、実像というよりは理想像でした」 ――日本は台湾を領有(1895年)、朝鮮半島を併合(1910年)しました。自らを民族と規定するその考え方は、どのような差別を生んだのでしょう。 「答えは、民族という概念の特徴から論理的に導き出されます。つまり、分裂を引き起こしたり一丸的な体制を乱したりする者たちが差別対象になりました」 「日本の支配に対して独立運動を起こそうとする朝鮮人は『団結を乱すやつら』として差別対象にされました。また『植民地の連中は経済力や教育程度が低く、国家のお荷物になるやつらだ』という視線も差別を生みました。一丸となるべき戦いで足を引っ張る者たちだ、とする理屈です。天皇への忠誠心が低いとされる者たちも差別対象でした。『歴史を共有していないやつら』だからです」 ――朝鮮半島の人々は「朝鮮民族」だったのでは? 「当時の日本側は一般に『朝鮮人』と呼んでいて、朝鮮民族という言い方はあまりしていません。理由の一つは、民族と呼ぶと『独立して一国をなすべき集団』という意味につながってしまうからでしょう。一つの民族であるとみなす意識は希薄で、むしろ『できそこないの日本人だ』と見下す視線が一般的でした」 「朝鮮民族という言葉を積極的に使ったのは、むしろ朝鮮の独立運動の方です。きっかけの一つは、英語の『self-determination』を日本の新聞が『民族自決』と訳したことでした」 ■ ■ ――米国社会の人種差別と戦前の日本社会での差別を比べたとき、何が見えてくるでしょう。 「図式化すれば、米国型の人種主義は階段のイメージです。上の段には白人が、下の段には黒人がいるけれども、白人の内部は平等と考えられている。ちなみに18世紀半ば以前の北米では、身分の違いの方が肌の色の違いより重要と考えられていました。つまり米国型の人種主義は、白人内の身分差別撤廃の副産物とも言えます」 「それに対し戦前の日本は、天皇が頂点にいて、身分の高い人から低い人までがその下に階層化されるピラミッド型社会でした。上には軍人や官吏が、下には民間人がいて、そのさらに下に被差別部落民や沖縄人が、そのまた下に朝鮮人が置かれる構図です。朝鮮人も差別されていましたが、日本人の内部にも身分や差別があって当然と考えられていました」 ――しかし戦前には「日本は人種主義を乗り越えた国であり、西洋より倫理的に優位にある」という議論があったそうですね。 「当時の日本の人々は、西洋から人種差別されているという被害者意識は持っていました。しかし、自らが支配・差別をしているという自覚は希薄でした。朝鮮人も肌の色は同じだから人種差別ではない、と考えていたようです」 「だから『日本は人種差別のない国ですよね』という質問にもし皮肉で答えるなら、こうなります。『そうですね、人種主義以前の国だったかもしれませんね。日本人の中にも差別が山ほどありましたからね』」 ――小熊さんは、大日本帝国は有色人による有色人の支配で、支配や差別の自覚を欠く「有色の帝国」だったと形容しています。1945年の敗戦を機に大日本帝国自体は消滅させられましたが、民族という概念の影響は残っていますか。 「残っていると思います。差別をしているという自覚がないこと、『国のお荷物になる』とみなされた者や内部の分裂を起こすとみなされた者が差別されること、などの点においてです」 「たとえば、生活保護を受ける人々や政府に人権侵害を抗議する人々が不当に非難されるなら、それは差別です。肌の色を基準とする米国型の人種主義とは違うかもしれません。しかし、差別のありようは社会によって違うのです」 ■ ■ ――「有色の帝国」と言えば、今の中国をそう見る人もいそうです。かつての帝国だった日本と重なるところがあるでしょうか。 「民族という言葉は当時の朝鮮や中国にも伝播(でんぱ)し、独立運動などで使われました。西洋に対して被害者意識や警戒心があること、千年単位の団結の歴史を掲げて忠誠心や標準語を強要すること、国内の人権侵害に抗議する集団を裏切り者とみなすこと、差別や支配の自覚がないことなどは、日本が発明した民族概念の特徴です。今の中国が大日本帝国と同じ道をたどらないことを望みます」 ――日本人自らが生み出した民族という概念の呪縛を、どうしたら超えていけるでしょうか。 「今の日本の人々は、国の独立が脅かされる危機を感じてはいないでしょう。そのため民族という日本語も、かつてほどまがまがしい言葉ではなくなりました」 「しかし、差別があるのにその自覚がない傾向は今も強い。日本政府は国内の『民族』統計をとっておらず、日本に人種問題や民族問題は存在しないという立場をとってきました。国内の差別を直視しようとしないという点では、民族という概念の呪縛は続いているとも言えます」 「まず、国内に差別があることを認識する。そこから始めてはどうでしょう」 (聞き手 編集委員・塩倉裕) * おぐまえいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。著書に「単一民族神話の起源」「〈日本人〉の境界」「〈民主〉と〈愛国〉」「日本社会のしくみ」など。 #
by eye-moriemon
| 2020-09-11 08:25
| 国民性
この国は、何を守りたいのだろう。
東京オリンピックを控え、建設や農業の人手不足を背景に、外国人の新在留資格を設ける入管法改正が審議中だ。菅義偉官房長官は「外国人が働く国を選ぶ時代になったと認識している。外国人が働いてみたい、住んでみたいと思える国を目指す」と述べた〈1〉。 しかし、日本の最低賃金で稼げるのは月額約千ドル。台北やソウルとあまり変わらない。2017年のスイスの国際経営開発研究所調査では、外国人材から見た魅力度ランキングで日本は63カ国中51位。15年の移民統合政策指数(MIPEX)では、日本は38カ国中の総合27位、差別禁止規定では37位だ〈2〉。 もちろん、差別のない社会はない。就労などの要件が、日本より厳しい国もある。だが日本の外国人政策には、系統的差別と呼ぶにも値しないような「ずさんさ」と「不透明さ」が目につく。 * 例えば日本では、永住申請に必要な居住要件が10年で、MIPEX調査対象国で最長だ。さらに異様なのは、これが帰化申請の居住要件の5年よりも2倍も長いことだ。永住の方が帰化より厳しいのは奇妙だが、永住権担当の法務省入国管理局と、国籍事務担当の民事局が、方針を調整していないためだという〈2〉。 この種の「ずさんさ」は数多い。過去には、弁護士法にも司法試験受験資格にも国籍要件がないのに、最高裁の要項だけが日本国籍を要求していて、司法試験に合格した在日韓国人が司法修習を拒まれた〈3〉。これはさすがに是正されたが、最高裁さえこの調子だったのだ。 一方でこうした「ずさんさ」は、意図的な「不透明さ」とも連動している。 日本では、永住申請が却下されても詳しい理由が開示されない。行政手続法や行政不服審査法の適用外だからだ。 昨年、あるネパール人家族の事例がNHKで放送された〈4〉。来日14年のホテル通訳の夫は、ホテル清掃員の妻、日本語しか話せない3歳の息子、小学2年の娘と暮らす。2度も永住権申請が却下されたが、理由が開示されず、どうしたらいいかわからない。NHKのディレクターは、14年分の納税証明書を見せられながら悩みを聞いたという。 日本の永住権や国籍を取得するには、一定の継続居住や経済力などに加えて、「素行が善良であること」という要件がある。法務省のサイトは「犯罪歴の有無や態様、納税状況や社会への迷惑の有無等を総合的に考慮」するとしか書いていない〈5〉。「社会への迷惑の有無等」が何なのかは、全く判(わか)らないのだ。 実はこの不透明さは、意図的に作られたものだった。1899年、国籍法を起草した法学者の穂積陳重(ほづみのぶしげ)は議会でこう述べた。帰化条件に「素行」(当時の条項では「品行」)を入れたのは、「我国(わがくに)の不利益なるものの帰化して国籍を取得致しますることを防御する」ためだ。一定の「条件を具備して居(お)りまする者」は許可すると書くと、政府が自由に拒否できなくなる。だから「品行」という「量り定めることが出来ない」要件を入れ、グレーゾーンを作ったのだという〈6〉。 米国の国籍取得にも「善良な人格(GMC)」という要件はある。とはいえ米移民局のサイトには、犯罪歴に関する証明など、要求内容が詳細に公開されている〈7〉。だが日本の法務省は、いわば「手の内」を明かしていない。 基準が不明なので解釈も一定しない。ある行政書士事務所は、「素行」要件の説明として、「例えば、義務教育の年齢であるのに日本で公的に認められた小中学校に通わせていなければ(日本人となる上では)憲法違反となります」と述べている〈8〉。この解釈だと、子供をインターナショナルスクールに通わせれば「素行」が悪いことになってしまう。 国籍取得に求められる日本語は不文律で小学校3年の漢字程度といわれ、諸外国と比べ厳しくはない〈2〉。だが外国人児童の教育に即した教員は不足で、日本語教育の教員免許制度もない。日本語学校は文部科学省の基準がなく、その多くが株式会社や有限会社の設置で、法務省入管局が実質公認している〈9〉。そのうえインターナショナルスクールも不可なら、どうしろというのか。 * 最初の問いに戻る。この国は、何を守りたいのか。「単一民族国家」を守りたがっているとは思えない。なぜなら「日本人」の記者や生活困窮者も、「自己責任」と切り捨てられているからだ。 むしろ守りたがっているのは、「ずさん」で「不透明」な状態そのものかもしれない。ルールが不明確で、密室で決定でき、不服申し立てを許さず、責任が問われない。この状態は、上に立つ者にとっては、面倒が少ないだろう。 だがルールの明確化と透明化は、外国人との共存に不可欠だ。「明確に書かれていなくても忖度(そんたく)しなさい」という姿勢は、異文化の人には通用しない。 韓国に生まれ日本で学び、カナダ国籍を持つ李承赫はいう〈10〉。先進国の基準はGDPや軍事力ではない。最大の基準は「どのような争いや問題も公平に解決する法的制度と社会的規範の信頼性」であり、「多文化で移民に立脚するカナダのような国は、そうした社会資本なしには機能し得ない」。文化や立場の異なる者にも通用する制度や規範を築くことは、楽ではないが、それなしに外国人と共存できる国は作れない。またこれは、外国人との共存だけの話ではないのだ。 #
by eye-moriemon
| 2018-11-29 10:00
| 精神的欠陥
福祉の充実が、貧しい人に支持されていない。嘘(うそ)のようだが本当の話だ。 福祉の専門家である大沢真理・宮本太郎・武川正吾が座談会を行った〈1〉。そこで武川は、福祉に関する5年ごとの意識調査の結果を紹介している。 それによると2000年には55%、2010年には7割近くが、税は高くても福祉が充実した「高福祉高負担」を支持していた。ところが問題は、「高福祉高負担」の支持者が、「比較的所得の高い人、負担を余(あま)り感じていない人」だったことだ。支持が多いのは高所得男性と高齢者で、低所得者、身体労働者、生産労働者、若年層は支持が相対的に低かった。 これは逆説的な話だ。普通なら低所得層が福祉の充実を支持し、高所得層が福祉の負担を嫌うものだ。だが大沢はこの結果を、「ちゃんと国民は負担と給付の構造を実感していた」と評している。 * どういうことか。高福祉高負担とは、負担は重くなるけれど、そのぶん見返りも大きくなることだ。いまの福祉が、所得の高い人から税や社会保険料を多めにとり、所得の低い人に重点的に給付する制度だったら、所得の低い人は「高福祉高負担」を支持するだろう。ところが、日本の制度はそうなっていない。 大沢によれば「日本の税・社会保障制度はOECD諸国の中でも最も累進度が低」い。とくに社会保険料は、低所得の人ほど相対的に負担が重い。自営業や非正規雇用の人に多い国民健康保険や年金の一号被保険者の保険料は、「低所得者の当初所得の一〇〇%を超えてしまう状況」まである。また所得が高い傾向がある正社員と専業主婦の世帯は、年金や税控除の面で有利だ。 そのうえ大沢によれば、「負担分を無視して純粋に政府からの所得移転だけをみても、日本は一番豊かな上位二〇%のほうが一番貧しい二〇%よりも多く移転されている」。つまり今の制度は、豊かな層の方が得るものが多く、「低所得層は、負担は相対的に重く、受け取るものは相対的にもかなり貧弱」だ。非正規雇用のひとり親家庭などは、「政府が所得再分配することによって却(かえ)って貧困が深まってしまう層もいる」という。 そうだとすれば、高所得層が「高福祉高負担」を支持し、低所得層がそれを支持しないのは当然のことだ。現在の制度のまま「高福祉高負担」になったら、自分が得をするのか損をするのかを、人々はよく理解しているのだともいえる。 * 貧しい人が福祉の充実を支持していないという状況は、選挙にも表れる。 政治学者の西澤由隆は、1993年から2010年の国政選挙のパネル調査データを解析し、階層別の政治意識を検証した〈2〉。それによると、所得が下位30%の層は「福祉よりも減税」を求め、むしろ高所得層の方が「増税しても福祉充実」を望んでいた。そもそも下位30%の層は、福祉を政党選択の基準としていなかったという。 西澤はこの調査結果をもとに、日本の論壇にみられる議論のあり方を批判している。論壇上には、「保守」「革新」に代わる対立軸として、税が重くとも福祉が充実した社会の是非を争点にできないかという議論がある。その前提は、欧米でそうであるように、低所得層は福祉充実をうたう政党を支持するはずという認識だ。だが西澤は、日本の有権者の意識は「経済学者・政治学者が想定する『前提』とは真逆(まぎゃく)」だというのだ。 そのうえ近年では、社会全体が余裕を失い、これまで「高福祉高負担」を支持していた高所得層まで、そこから離れ始めた。武川の調査によると、2010年には7割近くあった「高福祉高負担」への支持は、15年には00年の水準である5割台まで下がり、かわって「低福祉低負担」への支持が上昇したという。 この変化は、雨宮処凛(かりん)の感慨とも合致する。雨宮は09年の「年越し派遣村」には支持が集まったのと対照的に、12年には生活保護叩(たた)きが広がったことへの変化をこう述べる〈3〉。「多くの人がこの国の『格差と貧困』に麻痺(まひ)し、諦め、『そんなもんなのだ』と受け入れていく過程そのものに思えた」 つまり問題はこうだ。もともと日本の福祉は、貧しい人の支持を得ていなかった。そのうえ近年は、社会全体が余裕を失うなかで、ますます福祉への支持が失われ、格差が拡大しているのだ。 だが思うに、人々は格差と貧困を肯定しているわけではない。彼らが不信の目をむけているのは、福祉そのものではなく、本当に必要な人に恩恵がまわっていない現在の制度だ。それならば、まず制度の歪(ゆが)みを正すことが先決だろう。 歪みを正すには、正確な現状認識をもたらす報道が必要だ。小林美希は保育士の待遇が悪いことを問題視し、東京23区内の私立認可保育所の財務諸表を調べ、「園長、事務長、用務員」の人件費率が異様に高い保育所、その保育所での活動以外に収入や補助金が転用されている保育所をリスト化した〈4〉。この調査報道は、23区だけで約85億円の公費が「本業」に使われていないこと、各種の歪みを是正すれば現在の補助金額でも保育士の待遇改善が可能なことを示している。 働いて税や社会保険料を納めれば、それだけいいことがある。そのような「働いたら報われる」という実感が持てる制度への改革が急務だと大沢はいう。それは福祉だけでなく、日本の政治や社会への信頼そのものを取り戻す道だ。 #
by eye-moriemon
| 2018-01-25 15:05
| 差別問題
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