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「名張毒ぶどう酒殺人事件」再審請求却下


「自白も十分信用できる」。結局これが再審請求棄却の理由なのだ。先の光市母子殺害事件の最高裁判決文もそうだが、「弁護側の言い分が正しい可能性もあるし検察の主張通りかもしれない、しかし被告本人が自供しているのだからそれが本当だろう」、という司法の解釈。本当にこれが近代国家の裁判なのだろうか。
 およそ先進諸国の裁判では、取り調べは可視化されているし、自白が証拠とされることは考えられないと聞く。しかし日本では、堂々と自白が証拠だと言いながら、可視化という担保も採ろうとしないのだ
 。しかし、これまで強要された自白によって、どれほど多くの冤罪事件が発生したのかを司法は考えたことがあるのだろうか。また、過去検察による証拠の改ざん捏造、隠ぺいなど数々の違法が行われてきたことに対して司法行政はどのように考えているのか。

 私の知る範囲でも、近々「袴田事件」「北陵クリニック筋弛緩剤殺人事件」「東電OL殺人事件」など、再審請求を認めるかどうかの司法の判断が下される。冤罪を訴える書物に寄ればだが、これらはいずれも、すでに物的証拠は崩壊しており、密室取り調べによる「自白」が鍵となっている事件だという。
 賢明な司法の判断を待ちたいところだが、そもそも司法の独立とは、国民が裁判を受ける権利を守ることが主な目的なのであって、当然疑わしいとなった判決に対しても、再審を受ける権利があるのだ。裁判所には、無罪になる可能性を恐れる検察(行政)の抗議に対しては、その職責を果たすためにも、決然とした態度を取ってもらわなければ困るのだ。

# by eye-moriemon | 2012-05-25 16:26 | 裁判 | Comments(2) 

小沢一郎控訴と前原発言を批判する

小沢一郎に対する前原政調会長の、「日本は三審制なのだから判決が確定するまで・・」という発言は根本的に間違っている。司法制度の基本として、下級審であっても、無罪判決が出れば、次の控訴審で有罪判決が出るまでは、無罪なのだ。
前原が言うように、最高裁で有罪が確定するまで無罪と認めないというのなら、その人の自由は、検察や検察審査会弁護士が控訴を続ける限り、長期間社会的拘束を受けることになってしまう。にも関わらず、与党政調会長という要職にありながら、司法制度の基本ルールを無視し、社会の感情に訴えて小沢派閥の力を削ごうとする態度は、強く批判されるべきではないか。
そして結果的に、増税推進の立場と慎重な立場との正常な論戦の場が奪われることになったとしたらそれは、司法を利用して政局を左右させるという、決して犯してはならない憲法違反が行われたと言うことになる。
国会議員という国の要職にある者に対し、独立した司法が無罪という決定を出したのであれば、立法府と行政府は速やかに事態を収束させて、国会を正常化させる義務があると思う。将来の控訴審でどのような判決が出るかというのは次元の違う問題なのだ。

 野党も、小沢氏に対し説明責任を問うのであれば、これまでの裁判で語られた無数の言葉を検証した上で、どの部分の説明が足りないのかを明確にして早急に国民に公表するべきであるし、それが政治家としての道義的な責任問題にあたるというのであれば、今回の無罪判決を尊重し、早々に国会を正常化させて議論に集中した後に、中期的な問題として議論を継続するべきだ。

# by eye-moriemon | 2012-05-10 19:40 | 裁判 | Comments(0) 

木嶋被告に死刑判決!?

「首都圏で相次いで起きた連続不審死事件で3件の殺人の罪などに問われている木嶋佳苗被告(37)の裁判員裁判の判決で、さいたま地方裁判所は、3人の殺害など10件の罪を認めたうえで、木嶋被告に死刑判決を言い渡した」新聞より


「朝雪が積もっていれば、雪が降っているところを見なくても、雪が降ったことは分かる」─。本来なら、ひとつの証拠も見つけ出せず、こんな意味不明な例を挙げでも状況証拠だけで「死刑」を求刑しなければならなかった、検察の負けである。
ただ、多少検察に情状できる部分があるとすれば、(この事件が本当に殺人事件だったとしたらの話だが)、木嶋佳苗被告には強い殺意があったとは思えないところだろう。つまり、「消極的殺人行為」の様相が強く、普通に考えれば、生命保険をかけるでもなく、住宅街の駐車場で、本当に死んでくれるかどうかわからない練炭で、しかも死ななければ誰がやったかすぐ判ってしまうような稚拙な殺人行為を、本人の自供なくして立証することは逆に難しかっただろう。

殺そうと思うのではなく、「死んでくれればいいな」という気持ちで練炭に火をつけ、本当に死んでしまったと木嶋被告が思っているとしたら、本人とっては殺人事件ではないし、過失致死、場合によっては自殺ほう助とも考えられ、有期刑が相当ということになる。しかしこのことを立証することは、常識的には極めて困難であるから、作戦としては、とにかく厳しい取り調べにも耐え、無実を訴え続けるしかなかったのではないだろうか。気持ちとしては有期刑であっても、結果としては、無罪か死刑しかありえないことを、彼女にはよく解かっていたのだと思う。

裁判員6名の内、少なくとも2名以上が死刑を選択したことになるが、このような異常な裁判の裁判員に選ばれてしまったことを気の毒に思う反面、どうして高等裁判所に判断を委ねる選択をしなかったのだろうと思う。こんなことに一般市民が付き合わされる謂れなど全くない。この事件では、検察が控訴することは目に見えているのだから、リスクを冒して、ひょっとしたら無罪かもしれない被告に死刑を言い渡す必要など無いのだ。全員で無罪を主張すればよく、それは無責任な行為では決してなく、そもそも国民に死刑選択をさせる国が間違っているのであるし、証拠を提出できなかった検察が悪いのだ。

# by eye-moriemon | 2012-04-13 19:07 | 裁判 | Comments(0) 

小川敏夫法相に罷免を

─「犯罪に対する刑罰は国民が決めることで、刑罰権は国民にある。世論調査でも大半の国民が支持している」─ 小川敏夫法務大臣 

 死刑執行の予感はあったが、一度に3人の死刑執行が行われてしまった。たしかに法務大臣には執行命令の権限がある。しかしその理由として、多くの国民が死刑を支持しているからというのは、本末転倒である。世論調査ではその理由として、「遺族の苦しみ」をあげている人が半数を超えているようだが、しかしそれが理由であれば、矯正と懲罰を審議するはずの裁判が結果的に、仇討の場と化すことになる。
 それは被告の為の裁判から、被害者の為の裁判になってしまったことを意味し、それが続く限り、日本に民主的な司法が根付くことは不可能であり、前近代的な「死刑制度」は日本からなくならない。

そしてこのことがさらに不幸なのは、仇討を果たした遺族にも後悔の念が残る可能性があることだ。ずっと将来、「許す」可能性さえも絶たれてしまう。そのように考える時、今回のように、遺族の苦しみを理由に死刑を執行することがいかに愚劣なことであるかが分かるだろう。
 本当に遺族の憎しみを汲み取り、死刑を存続するのなら本当は、「被害者参加制度」等を止め、遺族を裁判の場から遠ざけてあげた上で厳罰を言い渡すのが筋であって、卑しくも法務大臣の権限で死刑を執行するのであれば、国民が支持しているからなどという理由付けをするのではなく、「法に従って自らの意志によって死刑を執行した」と、宣言するべきなのだ。
 小川法相を罷免すべきである。

# by eye-moriemon | 2012-04-03 18:49 | 死刑 | Comments(1) 

[死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90] より

死刑執行への抗議声明と、抗議集会のご案内
2012年3月30日 抗 議 声 明

本日(3月29日)、松田康敏さん(44歳:福岡拘置所)古澤友幸さ ん(46歳:東京拘置所)上部康明さん(48歳:広島拘置所)に死刑が執行 されたことに対し、強く抗議する。

 2010年7月27日から1年8ヶ月間、3人の法務大臣によって、死刑執 行停止状態が継続され、法務省内では、死刑の是非を巡って勉強会が続けられ てきた。そして、この勉強会がきっかけとなって、死刑制度について政府や国 会だけでなく、広く社会一般に議論が広がることが期待されていた。

 しかるに、小川敏夫法務大臣は、十分な議論もまったくないまま、検察・法 務官僚に指示されるままに勉強会を終了させ、死刑を再開した。これは、官僚 主導を廃し政治主導の政治を目指すという民主党政権のマニフェストに真っ向 から反するものであって、およそ許されないことである。
 また、就任後わずか2ヶ月間しか経過していない段階での十分な記録の検討 もされないままの拙速を極めた執行であり、慎重のうえにも慎重でなければな らないという法務大臣の職責を放棄するものであって、強く非難されなければ ならない。
 小川法務大臣は、死刑執行後の記者会見で、「刑罰権は国民にある。国民の 声を反映するという裁判員裁判でも死刑が支持されている」と述べたが、これ はまったくの誤りである。死刑の是非は、国民の支持・不支持によって決めら れるものではない。民主主義の理念と人道主義のもとに高度な政治的な判断に よって決められるべきものである。

 上部さんは、一審の段階で心神耗弱の精神鑑定が出されていた。松田さんも 知的に限界級と鑑定されていた。いずれも責任能力の有無について、死刑の判 決の是非が問われていたケースである。とりわけ、松田さんの場合は、弁護人 に再審請求を依頼し、弁護人もその準備に着手していた。上部さんは、再審弁 護人との接見において秘密交通権が保証されていないことに対して、これを違 法として国賠訴訟を提起したこともあった。死刑執行は当然に回避されるべき ケースであった。

 死刑には犯罪抑止の効果はなく、また、被害者の救済や社会の平穏にも資す るものではない。死刑は人道と民主主義に反する。
 私たちは、死刑の廃止を願う多くの人たちとともに、また、小川法務大臣に 処刑された松田さん、古澤さん、上部さんに代わり、そして、死刑執行という 苦役を課せられている拘置所の職員に代わって、小川法務大臣に対し、強く、 強く抗議する。

2012年3月29日

  死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90

=====
●小川敏夫法相による死刑執行に抗議する緊急集会
4 月5日(木曜)午後7時~
文京区民センター2A会議室
都営三田線・大江戸線「春日駅A2 出口」
参加費500 円(予定)

# by eye-moriemon | 2012-03-31 00:02 | 死刑 | Comments(0) 

死刑執行に思う


小川法相の死刑執行に抗議する意味での再掲載

「確かに法務大臣の指示がなければ死刑執行はできない。しかし、法律では、法務大臣は死刑執行の権限を持つだけであって、死刑執行の義務を持っているわけではない。当然、死刑を望む国民の負託に答えなければならない理由などはないし、死刑確定後、半年以内に執行しなければならないというルールも、すでに形骸化している。

─「死刑という制度がある以上、それ相応の罪を犯した者には、死刑を適用しなければ、法治国家としての基盤が揺らぐ」─

 これは後藤田元法相の言葉だそうだが、巷にあふれるネットでの議論でもよく目にする言葉だ。そもそも憲法からして都合よく曲解する国民がよく言うよと思うが、これは取りようによっては、「死刑のみが、かろうじて国家をささえている」とも言えるのではないか。
 本当は、執拗に死刑に拘るのは、悪を憎むからでも、被害者感情を慮るのでもなく、発見し難くなったスケープゴードを犯罪者に見出し、差別し葬り去ることによって、前近代的な社会秩序をかろうじて維持しようとすることの深層心理の現れなのではないか。

ドキュメンタリーの中で、「死刑執行ができないのであれば法務大臣に就任するべきではない」という偏執的で越権ともいえる発言をするかつての事務次官も、号泣しながら執行を決意したという元法務大臣も、執行を見届けることで自身のポリシーに反してでも執行を決意した元大臣も、本質的に「生贄を葬る祭事」に思いもかけず直面した者だけの表層心理に現れる「呪縛」の成せる行為なのではないか。
 番組でも紹介された、死刑制度を廃止した元フランス法相、バダンテールのモダニズムなど、日本では全く無視されてしまうのだ。日本の死刑制度は、前近代の産物であり、他の先進国とは全く次元を異にする遺物なのだ」

# by eye-moriemon | 2012-03-29 21:46 | 死刑 | Comments(1) 

木嶋香苗被告 裁判員裁判に思う

 
首都圏連続不審死事件の裁判員裁判が結審しようとしています。 しかし状況証拠のみでは木嶋被告が本当に犯人なのかは誰にも判かりません。 被告は殺人に関しては無罪を主張している訳ですから、判決は死刑か無罪かという判断になります。
 このような過酷な選択を迫られる場合、一般市民である裁判員に、判決を下す義務はあるのでしょうか。 ある意味、国家の代理である裁判官とは違い、裁判員は自らが下した判断に対し、重い責任を背負うことになります。もちろんそのような責任は無いのですが、仮に苦悩の末に死刑や無期懲役等の、重い罰を選択した場合、そのことで一生涯苦しむ可能性さえあるのです。

  このような場合、裁判員が判断を上告審に委ねたとしても、けして無責任な態度だとは言えないと思います。罪を認めた被告に対し、更生が期待できる範囲の量刑を判断する裁判であれば、積極的に意見を述べることは、司法の市民参加の意義からも必要かもしれません 。 しかし、人の[生死]に係る判断まで下さなくてはならない義務はないと思います。100日という日数は、裁判員裁判最長だとい言います、しかしこれは、通常の裁判であれば最短の裁判であり、とても審議が尽くされたとは言えません。

 裁判員の判断としては、時間をかけて審議できる上告審に、判断を委ねてもいいのではないでしょうか。判断を拒否するか、仮に意に反して無罪を言い渡すことになったとしてもそれは、本来の「被告の為の裁判」という主意に沿う、立派な選択だと思います。 
 そもそも、一般人6名を含むたったの9人の、しかも多数決で、人に「死」を宣告できてしまう制度そのものが、前近代的な異常な制度なのです。



# by eye-moriemon | 2012-03-15 18:56 | 裁判 | Comments(0) 

大阪幼児餓死事件に思う 無期懲役は必要か

 


裁判員に冷静な判断を望む

大阪幼児餓死事件の下山被告に対し、残忍性を重視した検察は無期懲役を求刑した。それに対し、弁護側は、保護責任者遺棄致死罪の適用を求めた。大きな違いは、有期刑と無期刑の違いだが、しかし現在の無期懲役囚の平均服役年数は50年を超え、社会復帰はほぼ絶望的なのだ。裁判員がどちらを選択するかによって被告の人生は大きく左右される可能性がある。
 しかし、仮に弁護側が主張する保護責任者遺棄致死罪最大の20年の懲役刑を科したとした場合、24歳の被告が矯正を果たし、40代に社会復帰する可能性は充分にあるのに、なぜその可能性さえも検察は切り捨ててしまうのか。

 
 そもそもこの事件は、検察が主張するように、「唯一、頼れる存在の母親に見捨てられた2児の孤独、絶望は筆舌に尽くしがたく、極めて残虐、残酷な犯行。他に類を見ない凄惨事件」 なのだろうか。 もちろんこの事件が凄惨なものであったことは間違いない。しかし過去、同様に実母から見捨てられ、それでも家族が欲しいと思った未熟な母親が現実に直面し、そこから逃れるために、逃避的に消極的殺人を犯したというのが実情であって、残忍性を持った者が、我欲の為に殺害に及んだというような凶悪事件とは異質なのではないか。

 この母親は決して孤立無援ではなく、公的保護を求める事もできたし、社会的地位もある実父に頼ることも可能だったはずだ。しかし、そうすることの煩わしさよりも、自身の快楽のためには、わが子の死も「しかたがない」と感じてしまった感性は、残虐性よりも、どうしようもない未熟さと捉えるべきであって、そうであるなら、この幼い母親には、永遠の社会からの隔離ではなく、反省のための十分な時間と、矯正後の社会復帰のチャンスを与えて、もう一度、生き直すことを求めるべきなのではないか。

# by eye-moriemon | 2012-03-12 20:24 | 裁判 | Comments(0) 

光市母子殺人事件」に思う

 

 巧妙な論点のすり替えが、この事件を巡る世論を捻じ曲げている。
 検察のストーリーの捏造と、愚かなマスコミの興味本位の報道が、裁判を行う上で、「被告は極悪である」、という前提を造ってしまった。 本来であれば、どの程度の「悪」なのかを審議する場であるはずの法廷が、「この極悪少年をどのように裁くか」という、制裁の場にねじ曲がってしまったのだ。
 弁護団が、真実を詳らかにしようとすればするほど、世論の厳しい批判にさらされたのは、社会心理がそのような強固な共同幻想の中にあったからだろう。

 ただこの劇場型裁判は、テレビドラマのような、「極悪」な犯人と、強く正しい「ヒーロー(遺族)」を社会心理が求めた、というような単純で牧歌的な普遍的図式ではない。 社会心理が、演者と観者という垣根を越え、積極的に演出に関わることを望んだと考えるべきだろう。 「極悪人」を糾弾することで、自らを浄化さようとする行為が、ドラマの中ではなく、現実に行われたのだ。 そしてそれが、「少年」に対しても躊躇なく行われたことが、日本人の深層心理に深い病巣があることを暗示していると考えなければならないだろう。

 近年、30万人もの、「死刑嘆願!(減刑嘆願ではなく)」が集まった、「闇サイト殺人事件」があったことを思い起こすべきだ。 その人たちが当時、特殊なブログに触発されたことを差し引いたとしても、自らがキーボードを叩いて、「死」を要求したのだ。 当然そこでは、光市事件と同様に、死刑を求めて戦う、「聖母(遺族)」をクロースアップし感情移入することで、犯人をより「極悪」とすることの梃とした。

 今、我々の社会心理は、新たな被差別者を求めている。異民族でも異教徒でも病者でもなく、後ろめたさを伴うような選民差別でもない、躊躇することなく差別し、心置きなく糾弾することで自らを浄化してくれる、「犯罪者」というスケープゴートを求めている。 今、日本人の感性は大きく後退している。


# by eye-moriemon | 2012-02-27 20:09 | 死刑 | Comments(17) 

光市母子殺人事件


母親に馬乗りになり強く両手で首を絞めたのでもなく、乳児を床に叩きつけて殺害したのでもない発達に障害を持つ18歳の少年が、何故、死ななければならないのか? 何故、更生する見込みのない男「大月孝行」として世間のさらし者にならなければならないのか? 

おろかにもマスコミに踊らされ、その男をスケープゴードとして差別し糾弾することで、腐った自らの内面が浄化されると思ったら大間違いだ。

増大する「死刑」の数と、おろかなニホンジンがその内面に増大させるストレスの総量は正比例している。
スケープゴードの死を望む、「病んだ魂」の総量が、世の中の景気の明暗と共に増大したり減少したりする社会が、まさに後進国ニッポンの姿だ。

「大月孝行」を死刑にしてはいけない! 

自らを棚に上げ、おろかなこの男を歪んだ正義感から「死」に追いやったとしても、自身と社会の深層心理の中に、拭いきれない新たな傷を残すだけだ。
 そして結果的に、自身の魂の浄化という妄想のために、きのどくな被害者遺族を利用してしまったことを自覚するべきだ! そして死刑が執行された時、最も大きく傷つくのは被害者遺族なのだということを知るべきだ!

# by eye-moriemon | 2012-02-22 20:12 | 死刑 | Comments(9) 

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